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【観劇レポート】スペクタクルリーディング『バイオーム』

 新感覚の朗読劇『バイオーム』が東京建物Brillia HALLにて上演された(6月8日~12日まで)。宝塚歌劇団で数々の名作を生み、観客を魅了してきた上田久美子による書下ろし戯曲を、「麒麟がくる」「精霊の守り人」の一色隆司が演出。舞台の新たな可能性を広げる意欲作が誕生した。

 舞台はとある政治家一族の屋敷の庭。大きなクロマツをはじめ、大小さまざまな植物が共生している。
 一家の子息である8歳の少年・ルイは、夜な夜なこの庭に抜け出し、家政婦の孫娘のカイと共にフクロウの声を聴く遊びに興じている。代議士であるルイの父は家族を顧みることなく、忙しく動き回る毎日。ルイの母は心を患い、怪しげな花療法士のセラピーに傾倒、息子の問題行動や変化に気付けないでいる。
 家長として、ルイをはじめとする家族を抑圧し君臨する祖父、いわくありげな老家政婦、そしてその息子の庭師。植物たちに“観察”されながら、一族の庭に集まる人間たちのさまざまな欲望、感情が交差し、地下に埋もれていた禍々しい現実が次第に露わになっていく――。

 白いストリングカーテン(糸状のカーテン)が吊るされ、そこに大きな木々や草花の映像が映し出されると、無機質な舞台上に幻想的な庭が立ち上がる。
「植物界」と「人間界」の二重構造からなる本作は、舞台装置が上下二段に分かれ、植物が一段上から人間を俯瞰するような形になっている。“朗読劇”と銘打っているものの、台本を読みながらというスタイルは最小限に抑えられ、俳優たちは台本を持たずに芝居をしている時間の方が長いほどだ(どうやらこれば、キャストコメントによると成河の「3週間あるんだったら覚えませんか」という言葉から変わっていった模様)。そこも“スペクタルリーディング”というものの一つの要素…になっているのかはわからないが、躍動する俳優の身体、熱量のある芝居に引きずりこまれる感覚は、いわゆる「朗読劇」とはやはり一線を画すものになっていた。

 キャスト全員が一人二役を演じるところも本作の見どころである。
 8歳の男の子・ルイと、その友人である女の子のケイを演じる中村勘九郎は、幼い子供同士の会話を、話し方、声色を巧みに変えて表現。自身の子供たちの様子も参考にしたそうだが、あどけなさや純真さが滲む表情はまさに子供そのもの。そのあまりにナチュラルな可愛らしさ、いじらしい姿には感嘆させられる。複雑な家庭環境から、内気で繊細に育ったルイと、快活で積極的な性格のケイ、対照的な二人を丹念に演じ、改めて役者としての技量の大きさを感じさせられた。

 

 勘九郎以外の俳優たちは、人間と植物の二役を行き来する。
ルイの母であり、一族の一人娘である怜子を演じるのは花總まり。精神的に不安定で感情の起伏が激しい役どころだが、政治家の妻として、また一人の母としても自らの存在を呪っているかのような姿は痛々しく、怜子が登場する場面はピンと張り詰めたような緊迫感が漂う。とくに2幕で見せる狂気を帯びた様子は鬼気迫るものがあり、その表情、繰り出される言葉から一瞬も目が離せなくなるほどだ。一方、もう一つの植物の役・クロマツの芽では、いたいけな幼児のような姿を見せる。「怜子」とはある意味“対”になるような存在だが、物語が進展していくにつれ、このクロマツの芽がいることで救われるような感慨を抱いた。

 
 父を継いで一家の庭師をする野口役の古川雄大は、自身の立場をわきまえながらも、奥底にある想いと葛藤し揺れ動く青年を、人間臭く演じる。対照的に、屋敷の庭に咲く一重の薔薇(イングリッシュローズ)の役では、上品な口調とエレガントな仕草や佇まいが目を引き、独特なオーラを感じさせる姿が印象的だ。

 

 重鎮感溢れる一族の家長・克人を演じるのは野添義弘。家族を抑圧する様はまさに“家父長制の権化”といった感じだが、物語が進むにつれ、彼もまたその犠牲者である哀しい側面が浮き彫りになっていく。一転、クロマツの盆栽役ではコミカルなキャラクターで客席の笑いを誘い、その振り幅は実に魅力的。

 

 怜子がすがるように頼りにする花療法士のともえ/竜胆役の安藤聖は、スピリチュアルな世界すら現実的に感じさせる説得力があり、その話ぶりには思わず魅了されてしまう。怜子とのとあるやり取りの中で、ともえが本音をぶつける場面では、この社会で生きる一員として、共感せずにはいられない台詞が心に残る。


 ルイの父・学/セコイアを演じる成河は、政治家一族の婿養子という立場をリアリティ溢れる芝居で魅せる。妻、息子、義父、いずれの家族とも折り合えない学が、心の拠り所としている不倫相手の秘書の女性に人目を盗んで電話をするシーンの生々しさはとりわけ印象深く、見てはいけない場面を覗き見してしまったような臨場感を味わった。


 麻実れい演じる、一家に古くから仕える家政婦のふきは、穏やかさの中にも威厳があり、ただの家政婦ではない、「何か」があると思わせる存在感に引き込まれる。とくに2幕では、ふきの独自の立ち位置を裏付ける理由が露になり、目が離せない展開に。植物の役では、庭の象徴的な存在“クロマツ”という長寿の大木を、その優美さと包容力で見事に体現し、劇空間を包み込んでいた。

 

 終盤に向けて怒涛の展開を見せ、明らかになっていく一族の「秘密」。昼ドラ的なドロドロとした愛憎劇、そこにサスペンスドラマの要素もあり、固唾を飲んで物語の行方を追っていくのが、この作品を観る醍醐味かもしれない。

 

 一度の鑑賞では咀嚼しきれない情報量と壮大なスケールに、観終わって「これをどう言語化したらよいのか……」と、向きえば向き合うほど困難に感じたのが正直なところ。だが、一流の演技者たちの芝居に圧倒されながら、世襲制による政治の腐敗、家制度の名残、女性蔑視等の日本に蔓延る社会問題を、物語の大きなうねりの中であらためて考えさせられる時間であったことは確かだ。植物から視たら「けもの」である我々が生きる社会、そして未来は、果たしてどこへ向かっているのか。急速なディストピア化が進んでいるようなこの混迷の時代に、ある意味とても“ふさわしい”作品であったことには違いないだろう。
 戯曲を書いた上田久美子は、来春には文化庁の海外研修制度でフランスへ留学が決まっている。宝塚という枠を離れ、海外で学びを得て帰ってきた上田がどんな作品を描くのか、「これから」をたのしみに待ちたい。

 

『バイオーム』 | 梅田芸術劇場

〔photo&text:古内かほ〕